コラム
公開 2022.09.07 更新 2022.12.27

一流のアーティストに現代はどう見えているのか
現代美術作家 杉本博司氏インタビュー(前編)

現代美術作家 杉本博司氏インタビュー(前編)

世界的なアーティストは普遍的な価値を持つ作品をどのようなプロセスで生み出しているのか?
「写真」を世界的なアートへと昇華させるにとどまらず、建築、陶芸、茶、古典芸能、書と多岐にわたる活動で知られる現代美術作家、杉本博司氏。
彼が撮影した写真は世界有数のコレクターに高額で蒐集されている。高松宮殿下記念世界文化賞、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章オフィシエなど多くの賞を受け、2017年には文化功労者にも選ばれている。
優れたアートは鋭く未来を切り取って提示してみせる。杉本氏の一連の作品も例外ではない。
一流のアーティストに現代はどう見えているのか。未来をどう感じているのか。その半生と想いを聞いた。
取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/西田周平 Shuhei Nishida

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作品が受け手に多様な感情をもたらす「理由」

世界の有名美術館に作品が収蔵されている現代美術作家。
直島の護王神社再建を委託され、アートスポットへと蘇らせる建築家。
マドリッド、ローマ、パリなどで行われた海外公演も大成功に幕を閉じた古典芸能家。
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では書家として題字も担当した。

杉本博司氏。彼の活動を一言で言い表すのは不可能と言っていい。

1970年代にニューヨークへと渡航。アーティストとしての一歩を歩み始めた杉本氏は、「ジオラマシリーズ」(1976年〜)、「劇場シリーズ」(1975年〜)「海景シリーズ」(1980年〜)で頭角を現し、押しも押されもせぬ世界的な写真家として世に知られていく。

杉本氏のアート写真からは受け手が多様な感情、感想を抱く。たとえば「海景」は、モノクロームの色彩のなか、世界各国の空と海を上下二分割で収めているシリーズだ。
この写真から、静寂を感じると同時に潮騒の音も聞こえてくる。冷徹な印象を受けると同時に温かな感情も沸き起こってくる。日本刀のような荘厳な雰囲気と同時にどことなくユーモラスな趣もある。

杉本 博司氏(以下 杉本氏):『海景』を見るとき、静かできれいだなと思ってもらうだけでもいい。いろいろな見方がありますから、哲学的に捉えたいという人が見たときには深読みもできます。

深読みをしていくとそれなりに哲学的な思想の背景を読み取れるし、モノクロームの色調で、室町時代の水墨画を見るように、そこに見える陰影のヒダの深さを『いいな』と思う人もいるでしょう。または水平線もよく見ると直線ではなく緩やかな曲線であったり、なにか一つの意味で固まっているものではないんです。

『どのような解釈をしてもいい。どのような解説を書いてもいい。どれも間違いではありません』と、評論家にも言っています。それが当たっているとは言わない。間違いではありませんと。

- 杉本氏は大卒後、ニューヨークへと渡り現代アーティストとして生きていくことを決意する。その手には幼い頃から撮り続けていたカメラとたしかな撮影技術があった。

杉本氏:26歳でニューヨークに行き、現代美術の世界で生きていこうと決めました。しかし、写真は芸術界の二流市民と呼ばれてアートではないと蔑まれていた。せっかくやるのなら下層から上層へという上昇志向があったんですね。そっちのほうが面白いんじゃないかって。

- およそ半世紀が経ったいま、写真は現代アートの一分野として成立している。その歴史を作り出したひとりが杉本氏だ。無から有を生み出し、社会に写真を芸術として認めさせた。その裏には、天才性とは別の戦略があった。

杉本氏:アートと思われていないものをアートにまで格上げさせるためには、ある程度の『あざとさ』みたいなものが必要ではないかと。たとえば初めてニューヨーク近代美術館に売れた作品『ジオラマ』は、死んでいる剥製が生きているように見えるのが一つのテーマでした。

- 杉本氏の作品には、いずれも明確なコンセプトがある。「ジオラマ」は、動物の剥製がまるで生きているように見える様子を切り取っている。
「劇場」では上映中の映画館を撮影している。映画が1本上映されているおよそ2時間、長時間露光することでスクリーンは真っ白な画面として写真に収まる。しかし、その白の中には、2時間分の物語が詰まっているのだ。

杉本氏:『劇場』の場合も、2時間の映画が観終わったあとすべてのイメージが白光に戻るという還元性が作品内に込められています。昔は哲学的なものがコンセプトにあったとは言わないようにしていたのですが、今となってはネタばらししてもいいかなと。

現代美術作家 杉本博司氏インタビュー(前編)

頭の中のヴィジョン 代表作「海景」が生まれた理由

- 明確なコンセプトに貫かれ、受け手に多様な感情をもたらす杉本氏の作品は、現代美術界に好意的に受け入れられた。
名が知られていく中でもチャレンジを止めず、新たな境地を切り開き続け、やがて世界的なアーティストとなっていく。しかし、当時はそんな未来は露ほどにも想像していなかったという。

杉本氏:この道で食っていけるかどうかなんて、なんの確証もありませんでしたよ。実際に最初は食っていけませんでしたから。でも、人生は一回しかありませんから、好きに生きたいと思って現代美術の作家になろうと決めました。

『ジオラマ』『劇場』で写真家としてスタートを切ることができ、やがて『海景』のコンセプトができてきた。当初はこのアイディアは理解してもらえないのではないか、と思って始めたものが、結果的に私の代表作になりました。

- この言葉にあるように「海景」は杉本氏の代表作のひとつとして知られている。世界中の海を巡り、水平線を上下均等に分けた構図を撮影したシリーズだ。
「海景」のコンセプトが生まれたきっかけについては、杉本氏の自伝「影老日記」に詳しい。1977年、一時的に帰国した際、日本の滝を撮影しようと山中をさまよっていた。

次の日はさらに奥日光の山中深く分け入り、幾つかの滝を巡りながら野宿をした。(中略)朝、細い無数の光が差し込み、私は朝露の中にいた。そしてその水が雫の一滴となって落ちていくのを見ながら、その一滴の行く末を思った。その時突然、海が私の脳裏に浮かんだのだ。雲ひとつない空、鋭い水平線、穏やかな波。私の思考は続いた、私が感じるこの古代の感覚はどこからやってくるのだろう。はたして古代人が見ていた風景を、現代人も見ることは可能なのだろうかと。そして気がついたのだ、それは海に違いないと」(杉本博司著「影老日記」より抜粋)

- 結果的に「海景」は杉本氏の代表作のひとつとなった。この革新的なアイディアが生まれた背景を、自身はこう語っている。

杉本氏:完全に頭の中で描いたヴィジョンです。眠れない夜など、そういうときに自問自答を心のなかでするわけです。また、若い頃からいろいろな本を読みました、中学生の時に読んだ小説とかそういうものも伏流水のように溜まっているんでしょうね。ときどきなにかとなにかが結びついたりする。

<後編に続きます>

Profile

杉浦 博司氏

1948年東京生まれ。1970年渡米、1974年よりニューヨーク在住。
活動分野は、写真、建築、造園、彫刻、執筆、古美術蒐集、舞台芸術、書、作陶、料理と多岐にわたる。
2008年に建築 設計事務所「新素材研究所」、2009年には公益財団法人小田原文化財団を設立。
主な著書に「苔のむすまで」「現な像」「アートの起源」「江之浦奇譚」「杉本博司自伝 影老日記」など。
1988年毎日芸術賞、2001年ハッセルブラッド国際写真賞、2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞。
2010年秋の紫綬褒章受章。2013年フランス芸術文化勲章オフィシエ叙勲。2017年文化功労者。

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