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幼稚園で一言も口をきけなかった私が人前で話せるようになったきっかけは「数の単位」
私は、今でこそ、たくさんのかたの前で講演をしたり、傍聴人のかたがいる法廷で意気揚々と「異議あり!」と叫んだりしていますが、幼稚園に通っていた3年間は、幼稚園で一言も口をきいたことがありませんでした。
そんな話をすると、お子さんが、昔の私のように人前で話をすることができないということに悩んでいるお母様から、いったい何がきっかけで変化を遂げたのかと聞かれることがあります。
今回は、リーガルではない、そんな話をしてみたいと思います。
すでに40年前のことです。
当時の記憶なんてほとんど残っていないのに、幼稚園で、朝、出席をとるときにも返事をすることができず、先生から「麻理ちゃんは、卒園までの間にお返事ができるようになるのが目標ね」と言われていたこと、そのたびに、幼稚園の窓にかけられた厚手のカーテンの陰に隠れながら「卒園までにお返事できるようにならなかったらどうしよう」と不安に思いながら、お弁当の中のお醤油を入れる小さな魚型のパックを哺乳瓶のように口にくわえて不安を解消させようとしていたことだけは昨日のことのようにはっきり覚えています。
小学生になっても、しばらくはそんな状態でした。
1年生のとき、隣の席になった男の子から、「何をやってもどうせ先生に言いつけることもできないだろう」と言われながら、右手の甲にシャープペンの芯を突き立てられたときの小さな傷痕は、今でも残っています。
それでも、少しずつ少しずつ、話しかけてくれるお友達とお話ができるようになってきました。
人前で話すことはできなかったけれど、1対1で人と話すことはできるようになってきたのです。
小学4年生のころに親の転勤に伴い転校することになりました。
転入先の小学校では、まず、クラスの皆の前で自己紹介をするよう言われました。
緊張して名前しか話せず、クラスの子から「なんの科目が好きですか?」と質問されたのに対し、答えることができず、じっと下を向いていたら、だれかが「うわ!今度の転校生は口なし女だ!」と叫び、みんながわっと笑いました。
私は、恥ずかしくて恥ずかしくて顔を真っ赤にして下を向き続けながら、これから先の毎日を考えると暗い気持ちになっていました。
その学校で初めての授業がある日の前日、母が、何を思ったか、算数の教科書を広げ、「数の単位」を教えてくれました。
「一、十、百、千、万、億、兆」というものです。
私は、当時、家で勉強をしたことがなかったし、学校の授業も、興味もなく先生のお話しする意味もわからず、いつもぼーっと外を眺めている子だったので、このとき母から教えてもらった数の単位はとても新鮮でした。
なんだか楽しくなって、何度も「一、十、百、千、万、億、兆!!」と歌うように唱えながら翌日登校しました。
新しい学校での算数の授業。
先生が、「今日は、数の単位を勉強します。一、十、百・・このあとの数の単位を言える人はいないだろうな。いるかな?」とみんなに投げかけたのです。
私は、このとき、「あ!あれだ!」とうれしくなり、思わず、手を挙げました。
みんなの前で何も話せなかった転校生が突然手を挙げたので、先生もクラスのみんなもすごくびっくりした顔をしていました。
先生に指してもらうと、私は、前日母から教えてもらった数の単位をそのまま歌うように兆まで大きな声で発表しました。
すると、先生やみんなが「うわ!すごい!転校生やるじゃん」と言ってくれました。
私は、胸がくすぐったくなりました。
次の休み時間には、お友達が集まってきて話しかけてくれました。
それからでした。
少しずつ少しずつ、私は、みんなの前で返事をしたり、人前で発表をしたりすることに不安がなくなり、学級委員に選んでもらう機会も増えました。
今振り返っても、自分がどうして幼稚園や小学校で口をきくことができなかったのか、よくわかりません。
そして、人前で話すことができなかった私が、なぜ、あの算数の授業で、手を挙げられたのかもよくわかりません。
でも、私は、今でも、ちょっと弱気になったときは、心の中で「一、十、百、千、万、億、兆」を小さく唱えます。
あの夜、数の単位を教えてくれた母を思い、背中に添えられた母の手の温かさを感じると一歩踏み出す力が湧いてくるのです。
そして、私も、歌うように数の単位を教えてくれた母のように、わが子が、不安や課題に直面したとき、自分でちょっとしたきっかけをつかみ、這い上がる力を、軽やかに、さりげなく渡すことのできる母でありたいと思うのです。
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