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同意の上での殺人「承諾殺人」 本当に「承諾」?
先日、母子4人の遺体が発見された事件で、その事件に関与した被告人に懲役8年の判決が言い渡されたと報じられました。
罪名は、母親に関しては嘱託殺人、つまり、頼まれて殺人をしたという罪、そして、その母親の子3人(13歳から15歳)に関しては承諾殺人、つまり、同意の上での殺人をしたという罪。
そもそも、起訴の段階で、殺人罪ではなく、嘱託殺人と承諾殺人の罪名でしたから、勝手に裁判官がそれを殺人で認定することなどできません。
ですから、今回の起訴罪名を前提とすれば、当然の認定です。
でも、この件、子どもに関しては、承諾殺人でなく、殺人罪での起訴もあり得たのではないか、と思ってしまいます。
私は、この事件について、報道されている限りでしか知らないため軽々にコメントしてはいけないと思っています。
でも、一般論で考えても、どうしても思ってしまうのは、13歳から15歳の子どもに、果たして、承諾殺人の要件としての「承諾」ができるのだろうか、ということです。
もちろん、死ぬということがどういうことか、わかる中学生は多いと思います。
でも、承諾といえるには、真意の承諾であることが必要です。
脅されたり、だまされたりしている状況下での承諾は真意の承諾とはいえないでしょう。
また、真意、といえるには、前提として、自分が置かれた状況を正しく理解している必要があるはずです。
たとえば、「うちにはもうお金がない。お金がないから、今後、生活していくことはできない。死ぬよりほかとるべき方法はない。さあ、死ぬことを承諾しますか、しませんか?」と問われたとします。
仮に、家に十分なお金がないことは事実だったとして、お金を得るためにできることがあるかもしれないし、公的援助を受けるなどしながら生活していくことも制度上可能なわけですから、死ぬよりほかとるべき方法はない、ということは客観的な事実ではないはずです。
そうなると、この説明を受けて、自分には死以外に取るべき道がないのだと考えて承諾をしたとしても、それは自分の置かれた状況を客観的に理解した上での承諾とはいえないのではないでしょうか。
普通なら、たとえそのような説明をされたとしても、そのまま信じたりしないだろうから、結局自分で判断したことだといえるでしょうか?
子どもが、自分が生活を頼っている大人からそのような説明をされたとしたら、説明は説明として受け止め、それを受けて自分なりの判断をすることなどできるのでしょうか?
仮に、ここまで詳しく言わなかったとします。
たとえば、親が、子に対して、「うちにはもうお金がない。だから自分はもう死ぬつもりだ。お前はどうするか?」と言ったとき、10代前半の子どもが、これに対し、自分が置かれた状況を理解して答えを出すことなどできるのでしょうか。
10代前半の子どもが、親から、そのような異常ともいえる話を持ち掛けられた状態で、冷静に、「仮に親に借金があったとしても、それは法的にきちんと整理できるはずだ。そして、自分個人の借金でもない。また、すぐに働けなくても、公的支援を受けられるはずだ。だから、親がどうするにしても、自分には生きる選択肢がある」などと現状を把握した上で自分の生死について真意による判断ができるのでしょうか。
報道によれば、判決でも、「子どもたちが積極的に死を望んでいたとは到底認められない」「子どもたちが父のように慕っていた被告から心中を持ちかけられた絶望感は無視できない」と述べていたとのこと。
まだまだ親しか頼る相手のいない10代前半の子がそんな心理状態、つまり「積極的に死を望んでいたとは到底認められない」「父のように慕っていた被告から心中を持ち掛けられた絶望感」の中でしたという同意を、「承諾」と認めていいのか、私は甚だ疑問に思います。
報道されている件で、具体的にどのようなやりとりがなされたのかはわかりません。
私が上にあげたような例とは全然違うやりとりがなされていて、それを見れば、子どもが真意によって同意していたといえるような事実が認められるのかもしれません。
それでもやはり、10代前半の子らがいったいどんな気持ちで自分の死を同意すると意思表示したのだろうかと思うと、本当に胸のつぶれる思いです。
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