リーガルエッセイ
公開 2021.06.02 更新 2021.07.18

「時間の経過による記憶減退」とは?京都アニメーション放火殺人事件について

記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、上場会社の社外役員を務める。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。
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記憶の薄れ‐京都アニメーション放火殺人事件‐

36人のかたが命を落とした京都アニメーション放火殺人事件。
現住建造物等放火罪、殺人罪等で起訴された被告人の裁判、どうなっているのかなと思うかたもいるのではないでしょうか?
この事件は、裁判員裁判対象事件。
裁判員裁判対象事件については、公判前整理手続を行う必要があります。
公判前整理手続というのは、1回目の裁判が開かれる前に、争いのポイントとなるところや証拠の整理をすることで、裁判をわかりやすく、迅速に進めるための手続き。
この事件でも、まずは、この公判前整理手続を行う必要があるのですが、報道によれば、まだこの公判前整理手続すら行われていないというのです。
その理由として報じられているのが、犯行時自らやけどを負ったという被告人の体調が万全でないということ。
そして、報道では、捜査関係者らが、時間の経過により被告人や関係者の記憶が薄れたり、変遷してしまったりするのではないかということを懸念していると報じられていました。
今回、この「時間の経過による記憶減退」ということをとりあげてみたいと思います。
一般的に、事件が起きてから、捜査が始まるまで、裁判が始まるまで時間が経てば経つほど、証拠がどこかに行ってしまったり、事件を目撃した人、事件前後の被告人の様子を知る人、被害を受けた人、被告人自身など事件に関する人の記憶が薄れてしまったり、実際と違うように記憶が塗り替えられてしまったりすることがあると言われています。
ですから、この報道にある捜査関係者の懸念自体はもっともなこと。
真相解明ということを考えたとき、本来なら、裁判は早ければ早いほうがいいに決まっています。
でも、事情によって、裁判を開けないというとき、裁判で真相解明をすることはできなくなってしまうのかというとそんなことはありません。

まず、裁判は開けなくても、捜査機関が聴き取った内容を録取した供述調書が裁判でも証拠として使える可能性があります。
弁護人側が、事件について争う点が多い場合、捜査機関の録取した供述調書は信用できないから証拠として使うことに反対しますと意見する場合があります。
その場合は、裁判で証人尋問が行われることになります。
でも、事件から相当な年月が経って裁判が開かれたという場合、証人が、自分が体験した事実についてすっかり記憶が薄れてしまって、または、その後に起きた出来事で記憶が塗り替えられてしまって、取調べのときにしていた供述と全然違った話をしてしまうということが考えられます。
そんなときは、裁判官が、証人尋問での供述よりも、事件後すぐに行われた取調べでの供述の方が特に信用できると判断したときに、記憶が新しかったと思われる取調べでの供述を証拠として採用してくれるということがあるのです。

それ以外に、証拠をあらかじめ保全しておくという手続きもあります。
証拠保全の手続きというのは、起訴される前の被疑者、起訴された被告人や弁護人が、あらかじめ証拠をとっておかなければその証拠を使用することが困難となる事情があると認められるときに申立てによって先に証拠調べをしておくことができるというもの。
たとえば、外国籍の人の目撃証言が重要な事件で、その人の取調べは実施できたものの、裁判が開かれる前に、その人は国外退去処分になり、裁判で証人として証言することができなくなるという場合、裁判に先立ち、国外退去になる前に証人尋問を実施するという証拠保全をすることが考えられます。
裁判が開かれるにはまだかなりの年月を要すと見込まれ、これを待っていたら証人予定者の記憶があいまいになってしまうおそれがあるときには、このような裁判に先立つ証人尋問が検討される可能性もあるかもしれません。

ただ、この事件で、年月の経過による記憶の減退が真相解明に大きく影響するかという点は別途考える余地があるのかなと思います。

というのも、この件の真相を解明するための証拠として、人の記憶というものがそこまで重大な要素となっているのかという点に疑問があるからです。
事件によっては、被告人が犯人かどうかを明らかにするためには、事件のときに現場にいたAさんの目撃証言の信用性こそが重要な証拠となる場合もあり、たしかに、その場合だとAさんが目撃したという際の記憶はとても大事な要素となると思うのです。
私は、この事件の証拠関係を何も把握していないので、想像にはなってしまいますが、この事件において、もし、人の記憶以外の客観的な証拠によって事件の大事な部分の解明ができるという証拠構造になっているのだとしたら、年月の経過による人の記憶の減退が真相解明の趨勢に及ぼす影響はそこまで大きくないのではないかと思います。

また、仮に人の記憶というものが重要な局面が出てくるとして、果たしてその記憶というのは、年月の経過とともに薄れるような性質のものか、ということも考える必要がありますよね。
つまり、ある事象についての記憶と一言でいっても、その事象の持つ意味によっては、年月が経過しても薄れない記憶というものがあるのではないかということ。
検察官をしていたときのことですが、取調べで、被疑者が、何を聞いても「数か月前のことなので、忘れました。覚えていません」と答えることってあるのです。
そんなとき、私は、「本当に、今私が聞こうとしていることは、年月の経過で記憶が薄れることはあり得るのか」と一歩踏み込んでみることにしていました。
たしかに、年月が経過することで記憶が薄れることってありますよね。
私も、2日前の夕食に自分が何を作ったか、食事をしながら何を話していたか、全く覚えていません。
でも、3年前のことでも、私にとってものすごく大事な日の夕食については、何を食べて、どんな会話をしていたかは、相手のそのときの表情やセリフひとつひとつも含めて完璧に記憶しているなんてこともあります。
そんなことってありませんか?

ある一つの事件のことに関しても、たとえば、その事件が起きた日が何曜日だったかとか、その日の午前中に何をしていたかとか、目撃した相手の服装などは全然覚えていないけれど、相手が一言だけ発した言葉とか、人生で初めて犯罪の現場を目撃したという直後に自分がどんな行動をとったかなどということは、記憶に焼き付いて忘れようもないなどということもあるかもしれません。

だから、「年月が経過したから記憶にない」ということは、必ずしも大前提ではなく、個別に、薄れてしまっても仕方ない記憶もあれば、年月の経過と関係なく残ると考えるのが自然じゃないかと思える記憶というものもあるという前提を持つことも必要だと思います。
そんなことを考えてくると、記事に、「本件では裁判が開かれるまでに相当な年月が経過することが見込まれ、関係者の記憶の減退が真相解明にとって不安要素となるかも」とあったとしても、「記憶の減退をフォローするための手続があるから、真相解明が阻害されることはないんじゃないか?」とか「そもそも、この事件は、人の記憶に頼らないと真相解明できない事案なのかな?」とか「記憶の減退って一言で言うけど、記憶って、ひとくくりにして年月とともに減退するものだとは言えないんじゃないかな?」とかいろいろ思うところが出てくるような気がしませんか?

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