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先日、高校生2人をはねて死傷させたとして自動車運転過失致死傷罪に問われた男性について、一審で、無罪判決が言い渡されました。
報道によれば、検察側は、男性が急激な血圧低下で意識障害になったことが事故の原因であるとした上で、男性は、事故前から、めまいがあったり、医師や家族に運転を控えるように注意されていたり、物損事故を繰り返していたのだから、そもそも運転を控える義務があったと主張していたとのこと。
それに対し、判決では、事故原因は意識障害であるとした上で、男性は、そのような状態になることを予見できなかったと判断したと報じられています。
この無罪判決に対しては、検察が控訴しました。
そして、控訴審を控えたタイミングで、先日、「弁護側は控訴審で『被告には一定の責任がある』と一転して有罪判決を求める方針を固めた」ことが取材で分かったなどという内容が報じられました。
実際に、どのような方針であるのかは、直接弁護人が語った内容を聞いたわけではないのでわかりません。
ただ、この内容が事実であるとすれば、異例であると思います。
報道によると、その方針の変更にあたっては、「男性の家族は一審から有罪判決を望んでおり、男性自身が罪を償うべきだと考えているという」とのコメントともに、男性の家族の意向が反映されていることを示唆するものがありました。
この一連の報道内容について少し考えてみたいと思います。
本人の意向は?控訴審の判断は?
私がこの一連の報道を見て気になったことは2つあります。
1つ目は、「男性ご本人は、どう考えているのかな」ということです。
刑事事件の弁護人、民事事件の代理人を務める中で、ご本人のご家族も打ち合わせに同席されたり、事件の進め方についてご家族としての意見を訴えたりされることがしばしばあります。
そしてご家族の意見がご本人の意見と必ずしも一致しないということもあります。
最終的には依頼人であるご本人の意見に沿い、弁護人、代理人として方針を考えていかざるを得ませんが、一方で、今後のご本人の生活を考えたとき、ご本人が今後ご家族のサポートを受けながら生活していく必要があるというケースでは、ご家族の意見は関係ないからといって一蹴してしまうことなどできません。
どういう解決法があるかということを丁寧に丁寧に話し合って方針を決定していくようにしています。
今回、もし、報道されているように、控訴審で一定の責任を認める方針であるということが事実であれば、私が報道で見る限りでは見つけることのできなかった、男性ご本人の意向はどのようなものなのだろうと思いました。
2つ目は、報道によると、男性のご家族が、「罪を償うべき」というお気持ちとともに有罪判決を望んでいると報じられている点です。
一般論でいえば、ご高齢のかたが車を運転していて、被害者を死亡させてしまうような大変な事故を起こしてしまった場合、このことへの非難がご家族に向けられることはあるように感じます。
全く別の事件が報じられた際、私は、それを報じたニュースのコメント欄に、「なぜ車を運転できないようにするために鍵を持たせないなど強硬手段をとらなかったのか」、「なぜご本人が運転しなくていいように、ご家族がサポートしなかったのか」、などというコメントが投稿されていたのを見たことがあります。
たしかに、被害者のかたの立場に立ったとき、一般的に、事件の内容、経緯によっては、そのような声があがること自体はやむを得ないだろうという思うこともあります。
ただ、責任の取り方というのは、刑事処罰によるばかりではないというのも事実です。
民事上、賠償責任を負うことでの責任の取り方というのはあります。
刑事責任というのは、いたましい結果を引き起こしてしまい、申し訳ない、何かの形で償わなければならないから有罪を求める、というものではありません。
有罪となるには、法的に、必要な要件を満たす必要があり、今回報道された件では、予見可能性があったのか、という点についての法的評価、そして、その評価の前提となる事実認定(事故前にどのような事故が起きていたのか、医師からはどのような注意がされていたのか、事故前の症状など)こそが刑事責任の有無、程度を決めるはずです。
ですから、事故により生じた大変な結果について償いをしなくてはいけないから刑事責任を認める、有罪を求める方針、というのはただちに結びつくものではないのだろうなと思います。
控訴審は10月6日に開かれる予定とのことです。
今後の裁判に注目していきます。
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