リーガルエッセイ
公開 2025.02.07

「~させられている」について思うこと

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記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、上場会社の社外役員を務める。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。
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「~させられている」について思うこと

昔から、内容を問わず、知人から相談を受ける機会がときどきあります。
そんな機会に、よく出てくる表現が「私ばかりが~させられていて」というもの。
たとえば、「家庭で、私ばかりが家事をさせられていて」とか「職場で、私ばかりが面倒なことをやらされていて」とか。
そんな状態に憤慨し、いったいどうしたものかと相談されることがあるのです。
ちょうど、昨日も知人からそんな話をされました。
知人から了解を得たので、そんな話をしてみたいと思います。

まず、そんな相談の相手に、私は明らかに不適任。
もしかしたら、「それは許しがたいね」「よくがんばってるね」などという対応を求められているのではないかなとは思うのです。
ただ、とてもそうは言えない。
だって、全然そう思っていないからです。
もちろん、本当に「させられている」なら大問題です。
たとえば、やりたくないと言っているのに、脅されて、断りたいのに断れずにやりたくないことを強いられているとか。
そんなこと絶対にあってはいけません。
だから、私は、「ちょっと待って!その『させられている』っていうのは、具体的に、誰に、どんな風に脅されたり、身体の拘束をされたりして無理やりさせられているのかも併せて教えて。私がなんとかするから!」などと言ってしまう。
でも、そんな風に掘り下げてしまうと、「あ、この人に相談した自分がおろかだった」という顔をされて終わり。
私も、せっかく相談してくれた相手の気持ちに応えられなかったことを悲しく思いつつ、それでもやっぱり思っていないことは言えないのです。

どうして「させられている」に対して過敏に反応してしまうかというと、私自身が、かつて何かとそんな思いでいっぱいになって苦しんでいたから。
「私は、大好きだった検察の仕事を辞めた上に、仕事をすることもできず、ひとりで育児をさせられている」
「弁護士の仕事を覚えていかなければならないのに、シングルマザーとしてひとりで育児をしなくてはいけないから、体を壊しながら、睡眠時間を削って、育児と仕事をさせられている」
「毎日、心身ともにぼろぼろなのに、疲れた体で子どもの面倒を見ながら食事を作ったり、掃除をしたりさせられている」
「こんなに疲れているのに、夜遅い時間に知り合いから連絡が来て、その対応をさせられている」
そんな、たくさんの「させられている」に押しつぶされそうになっていた時期がありました。
でも、そんな風に、なんだか自分を被害者的な立ち位置において、「させられている」という文句で埋め尽くされている日々が本当に嫌でした。
自分の過ごしてきた時間がとてもみじめなものに思えてしまったから。

私は、なんとかそんな思いから抜け出したくて、必死で本を読んだり、人に会いに行って話を聴いたりして、なんでこんなに自分は苦しいんだろうと考えました。
何が大きなきっかけだったか今となっては忘れてしまったのですが、少しずつ少しずつ、自分に問いかけるくせをつけるようにしていきました。
心の中に、ふと「させられている」という思いが生まれたとき、「『させられている』ってだれに?」「本当にそのだれかから、『~しろ』って言われたんだっけ?」「いろいろな選択肢の中から、自分が『する』という選択肢を選んだのではなかったっけ?」「自分は本当はどうしたいの?」という問いかけを、いちいち、丁寧に積み重ねていく練習を始めたのです。
そうすると、「させられている」と思っていたことが、実は、私自身、それをすることに何らかのメリットを見出して選択したことだったということがわかったこともありました。
私に、それを「させている」と思い込んでいた相手に、勇気を出して「自分は本当はこうしたい」と打ち明けてみたら、「やったらいいよ!」と背中を押してもらえて、実は、相手は私に対して何も「させて」いなかったこと、私が単に自分の意思を伝えていなかったことに気付いたこともありました。
だれも何も強制していないし、お願いすらされていなかったのに、私が勝手に「やらなきゃ」と思っていたに過ぎず、その背後には、私自身の思いがけない価値観が隠れていたということに気付いたりしたこともありました。
そんなことを積み重ねていく中で、実は、すべての自分の選択は、ほかでもない自分がひとつひとつ考え、判断してきたことだったんだと思えたり、選択の幅が広がったりし、そのことでとても楽になった気がしました。

とはいえ、自分の身に起きたことをどう捉えるかということに正解も不正解もないはず。
幸い、私は、これまでそういう場面に直面してこなかったように記憶しているけど、本当に、自分以外の何かに「させられている」と評価せざるを得ない状況に陥ることもあるのだろうとも思う。
また、そうやって「させられている」と評価することで自分を癒すことができる場面ももしかしたらあるのかもしれない。
ここは、自分が心地よいなと思う方を採用すればいいのかなと思っています。

昨夜も、そんな話を知人に熱く語っていたら、「なんかどうでもよくなってきちゃった。眠くなったからそろそろ寝る」と告げられ、持ち掛けられた相談は突如打ち切りとなりました。

せっかく相談を持ち掛けてくれた知人に対し、もっと何か届けられたんじゃないか、となんとももどかしい気持ちになったので、「そうそう、とにかく寝て休んで、元気になったらまたいろんな捉え方が変わることもあるかも。ゆっくり休んで」とメッセージを送り付け、追い打ちをかけておきました。
ちょっと面倒な相談相手だったかもしれません。

ご相談をいただくお客様とお話していると、十分な休息をとることができたときと、お疲れが残ったままのときとで、お声の状態、発する言葉が変わるだけでなく、起きたトラブルとをどう捉えるかというところまでもが180度変わるということがあるように感じます。
弁護士として、解決に向けた法的サポートをさせていただくということはもちろん、その過程で、起きた出来事の捉え方で苦しんでいらっしゃるお客様が、同じ出来事をちょっと違う視点から眺めることによって少しでもお気持ちが楽になるような、そんな関わり方ができたらいいなといつも思っています。

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