リーガルエッセイ
公開 2024.12.12

裁判で「ワンチャン」の意味が検討された件

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記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、上場会社の社外役員を務める。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。
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裁判で「ワンチャン」の意味が検討された件

「ワンチャン」には私自身悩まされることが多いです。
最初にこの言葉を聞いたとき、おそらくこれは、スターバックスをスタバと呼ぶような感覚で、「one chance」が省略されたものだろうと想像し、とすると、ワンチャンとは、「一生に一度のチャンス」「1回きりのチャンス」という意味なのだろうと理解していたのです。
つまり、「私は、このワンチャンを全力でモノにします」みたいな感じで使われるのだろうと思っていました。
でも、実際周囲での使われ方を聞いていると、違和感がありました。
私が想像していた意味合いを前提にすると、なんとなく前後の文脈の中でおかしな話になるのです。
たとえば、私が、「ねえ、それ、当初の計画どおりに進みそうなの?」というような質問をしたとき、「ワンチャンね」という返事が返ってくることがありました。
私が認識していたとおりの意味だとすると、「計画どおりに進むかどうかは、1回きりのチャンスである」という回答になってしまう。
こんなよくわからないやりとりをいろいろなところで重ねてきた中で、私は、「ワンチャン」とは可能性を示す表現なのだろうと理解するに至りました。
つまり、「計画どおりに進みそう?」に対する「ワンチャンね」とは、「計画どおりに進む可能性あり」という意味なのだろうと理解したのです。
でも、次に私が抱いた疑問は、「可能性ありってどの程度?」というもの。
「ワンチャン」という言葉から私が受けた印象としては、せいぜい、その可能性は3%未満。
「限りなくその可能性はないけど、ものすごくラッキーに事が進んだら、もしかしたら計画どおりに進むかも」とか、もっと言うと「可能性は著しく低いけど、ゼロとまではいえない」程度のものなのだろうという印象でした。
しかし、あるとき、私が、何かの可能性に関し質問したことに対し、「ワンチャンいける」みたいな回答をされたので、「可能性を何パーセント程度と想定してワンチャンと言ったのか?」と一歩踏み込んで追及したところ、「ワンチャン50%くらい」という答えが返ってきました。
このとき、私は、ワンチャンがどの程度の可能性を示すかについては、いろいろな考え方があり得るのだと知りました。
さらに、驚くべきことが起きたのです。
私がわが子に「今日のご飯、寒いし、おうどんにしようか?」と尋ねたとき、「それ、ワンチャンあり」との答えが返ってきたのです。
「ワンチャンありとは?それは、可能性ゼロじゃないねって意味?つまり、おうどんはできれば避けたいという趣旨?それとも、逆に、ものすごくうれしいみたいな意味?」と追及したところ、「そこまで考えてないからそんな風に聞かれると困る。おうどんもありなんじゃない?みたいな?」とのこと。
もはや、「ワンチャン」不要。
「それ、あり」と言われたほうがよほどスムーズだったのでは?
あ、ただ、「それ、あり」でもどの程度ありなのかのパーセンテージは予想できないな。
なぜ、最初から「おうどん、いいね!食べたい!」または「おうどんは、ちょっと気分でないから、ほかのものがいい。例えば…」みたいな答え方をしないのか…
ここまで来ると、私のような被害妄想人間などは、「若者たちはむやみやたらと『ワンチャン』を繰り出すことで、大人の私をちょいとけむに巻いてやろうと思っているのではないか。あおられているのではないか」などと思ってしまうのです。
私としても、いろいろ思うところがありましたが、ワンチャンをめぐるいろいろな人とのやり取りを経て気づいたことがありました。
「ワンチャン」は、その言葉を発する人が思い思いに、ときにたいした意味も込めずに用いられるケースがあり、私などが前後の文脈からはかり知ることのできないものだから、私は、この言葉を投げかけられたときには、都度、相手の言うことを正確に理解するために、「その意味するところは?」と確認すべきだということ。

そんな「ワンチャン」に翻弄されてきた日々だったのですが、先日、大麻取締法違反の裁判で、裁判官が、無罪判決を言い渡したという報道を目にしました。
裁判例を直接目にしたわけではなく、報じられている範囲での情報なので、事実と異なる部分があるかもしれませんが、その裁判では、被告人により、所持していたものを違法性のない大麻成分のものと認識していたとして、犯罪の成立に必要な故意を欠く旨の主張がされたようでした。
これに対する裁判官の判断は、「故意を推認するには合理的な疑いが残る」と評価しての無罪判決。
報道によると、故意の有無に関する評価に関し、職務質問時、被告人が所持していたものの違法性の認識を問われた際、「ワンチャンあるかも」と言ったそうで、その発言の意味が裁判で検討されたというのです。
報道によれば、裁判官は、判決の中で、「ワンチャン」は、若者を中心に「もしかしたら」という心境を表す言葉として遣われ、その可能性の程度については、話の流れやシチュエーションによって変わるのだという趣旨の判断を示したとのこと。
そして、この事件で被告人が「ワンチャンあるかも」と言った際の状況に鑑みると、深夜に突然乗ることになったパトカーの中で感覚的に出た言葉に過ぎないという評価がなされたようだと報じられています。

もちろん、この言葉の解釈のみが唯一の判断要素となったわけではないはず。
でも、被告人の故意の有無を評価するにあたって、職務質問の際、警察官からの質問に対し、被告人が何と答えていたかという事実は、とても重要な判断要素となり得ます。
だから、被告人が「ワンチャンあるかも」と発言したのだとしたら、それがどのような意図で、どのような意味を表現する言葉として発せられたかということを検討することには、捜査機関も慎重になったのだと思うのです。
私が弁護人だったら、「ワンチャン」をどのような文脈で使う傾向があったかという点は、人によっても特徴があるだろうから、被告人と普段よく接している人たちから話を聴いてみたい。
そして、言葉を発した本人さえ、そのとき、自分が正確にはどういう意味でその言葉を用いているかということを言語化することってとても難しいと思うから、そこはじっくり話をしながら真実に迫る必要があるのだろうと思います。

「ワンチャン」に限った話ではないと思います。
一般的には、一義的な言葉として用いられている言葉であっても、ある人は、その言葉の意味を少し誤解して、微妙に違うニュアンスで用いているというケースって意外とあると思うのです。
多義的な言葉であればなおさら、その人が、その状況でどのような意味で用いたのか、いろいろな解釈があり得るはず。
弁護士として人から話を聴くにあたっては、自分の常識や理解をときに疑いながら、相手が、そのとき、その言葉をどのような意味で、どのような思いで用いているのか、ということを考えながら、丁寧に相手と答え合わせをしながら相手の真実に迫る必要があるな、と改めて感じました。

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