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公開 2024.07.31 更新 2024.08.02

日銀前総裁の半生と金融緩和が日本に与えた「影響」
第31代日本銀行総裁 黒田 東彦 氏 インタビュー(前編)

はじめから官僚を目指していたわけではなかった。
裁判官になりたかった黒田氏は司法試験を受験し見事合格。自身の将来は決まったはずだった。
ところが、実母からの思わぬ一言が黒田氏の、ひいては日本の未来を変えることになる。青年時代、後の日銀総裁となる黒田氏が、なにを考えどのように過ごしていたのか、話を聞いた。

取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/西田周平 Shuhei Nishida

裁判官を目指した青年時代。母親の一言で大蔵省へ

― 若き日に下した決断が後の人生に大きな影響を与えることがある。もしもあのときこうしていたら、どんな未来が待っていただろうかと誰しも考えたことがあるだろう。
ときにその決断が一国の歴史を変えてしまうことがある。本稿の主人公がもしも違った道を歩んでいたら、2024年の日本はどのような国になっていたのだろうか。

黒田 東彦 氏 (以下 黒田氏): 裁判官になりたかったんですよね。大学では法学部に通いました。本当は数学や物理が好きだったのですが、自信がなくて東大の文一を受けたんです。私は碧海純一先生というカール・ポッパーの哲学に基づいて法哲学を展開していた先生のゼミにも出て勉強しました。

裁判官になろうと思って勉強して、司法試験にも合格しました。でも、いつも何も言わない母親が『お前に人が裁けるのか?』と言うんですよね(笑)。よくよく考えてみたら『死刑判決は書けない』と。いつもなにも言わない母親からそんなことを言われてたしかに裁判官にはなれないと思って、大蔵省に入ったんですね。

― 黒田東彦氏。第31代日本銀行総裁として2013年から2023年まで、10年間にわたって日本銀行総裁を務め、異次元の金融緩和を推し進めて日本の経済を立て直した。22歳の青年が、この日に裁判官になる未来を選んでいたら、日本の歴史は大きく変わっていたことだろう。

福岡県大牟田市で生まれた黒田氏は、父親の転勤に伴って日本各地を転々とする少年時代を送っている。中学・高校は父親の勧めに従って東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(現:筑波大学附属駒場中学校・高等学校)へと進学。多感な青春時代を過ごした。

筑駒の自由な校風と個性的な教師に培われた多様な視座と価値観

黒田氏 : 今や、筑駒といえば全国一の進学校と言われていますが、私が筑駒にいた当時は決して名門校ではなかったんですよね。私がいたころは、中学が2クラスで、高校で3クラスありました。当時は東京大学に入学する生徒なんてひと桁ぐらいだったんですね。ところが、我々の期からたまたま30人ぐらい進学しました。同期が86人だったのですが、そのうち30人ですから結構な割合ですよね。

― 黒田氏が通っていたころの筑駒も、現在同様自由な校風だったようだ。数学の教師は論理学や集合論、行列式といった内容を授業で教える。日本史の教師は1年間を使って明治維新の舞台裏だけを教える。英語の教師は毎週、シャーロック・ホームズが主人公の小説の内容について話す。楽しいけれども、それぞれ大学受験には出てこない。

黒田氏 : 高校2〜3年くらいになると『このままでは大学に受からない』と気がついて、みんな塾に通い出すんです(笑)。代々木ゼミナールとかね。みんなこの学校の授業では大学に受からないと自分で勉強をしていました。

先生方は自分で研究してることをしゃべるんですよ。たしかに大学入試には役に立たないかもしれないけれども、その後の人生には大きな影響を受けました。当時はそういった授業のお陰で数学や物理に関心があったので、丸善の日本橋本店に行って、数学の本などを買って読んでいました。全然仕事には役に立ちませんでしたけど(笑)。

― 中学3年から高校1年のころ、日本を揺るがす事件が起こった。安保闘争だ。その影響は筑駒の教室にも及んだという。

黒田氏 : ホームルームなどで友人たちと話をしても、意見がみんな違うんですね。私自身は、マルクス主義の政治学者たちがリードしていた安保反対論をうさんくさいなと思っていました。

日米安保によってソ連や中国に対する抑止力を高めるという意見に対して、マルクス主義の人たちはソ連や中国が攻めてくるのかと言うわけですね。攻めてくる可能性などないのにかえって刺激してしまう。あるいはアメリカが戦争したときに戦争に巻き込まれる、そういう話ですよね。
だけど、ソ連や中共が攻めてこない根拠なんてないわけですよね。むしろ、独裁体制で何をするか分からない。しかも核兵器も持っている。そういう国に対して、裸で立ち向かうのは無理ですからね。私は日米安保を改正するのもいいんじゃないと思っていました。少数派ですけどね、高校でも。

― このころ、マルクス主義に対する根源的な批判をしていたカール・ポパー「歴史の貧困」に出会う。その考え方、視点は後の人生に大きく影響を受けたという。

黒田氏 : 『歴史の貧困』を読んだらこれはなかなか説得的な本でしたので、また丸善に行って同じくポパーの『オープン・ソサイティ・アンド・イッツ・エネミーズ』を読んだんです。非常に面白かったですよね。

― 中学・高校と、互いに知的好奇心を刺激し合う学友に恵まれた黒田氏は、東大法学部を経て大蔵省(当時)へと入省する。

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Profile

黒田 東彦 氏

1944年、福岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、大蔵省(当時)へ。
1999年から2003年まで財務官、2003年から2005年まで内閣官房参与、2005年から2013年まで第8代アジア開発銀行総裁、2013年から2023年まで第31代日本銀行総裁を務める。
日銀総裁退任後は政策研究大学院大学特任教授、京都大学経営管理大学院特命教授に就任。
2024年、瑞宝大綬章受章。