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INNOVATORS
公開 2024.11.28

「世界の鉄人」がスポーツ庁長官として手掛ける、日本のスポーツ振興と健康増進
スポーツ庁長官 室伏 広治 氏 インタビュー(中編)

室伏 広治 氏 インタビュー(中編)

順調に成長曲線を歩んできた室伏広治氏に大学時代、スランプが訪れる。自我を持ち、自分は優れていると考え、それまで支えていた父やコーチの話を聞かなくなった時期があったという。誰もがぶつかるスランプの壁。世界的なアスリートはどのように克服したのか。話を聞いた。

取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/西田周平 Shuhei Nishida

トップアスリートはプレッシャーやストレスをどう捉えたのか

室伏 広治 氏 (以下 室伏氏): 正しい技術を教わって吸収して成長していくことが前提ですが、競技を始めた頃は、たくさんの伸び代があり、どんどん記録も向上していきます。そうすると、楽しいわけです。しかし今度は必ず停滞期が来るんですね。多くの人がこの壁に弾かれて競技を辞めてしまいます。特に若い頃はね。

私も大学1年から2年ぐらいの時ですかね、記録が停滞して、なにをやってもうまくいかない時期がありました。自我を持ち、自分は優れているんだと考えてしまい、コーチである父の話を聞かなくなったんです。

自信を持つのは悪いことだけではないのですが、そういった自我のような、他を受け入れない心にもなっていく。そうなると、まともに指導も受けられませんよね。良い指導も受け入れていくことができない自分になっていて、それでさらに記録が停滞していきました。

―  競技者として成長しているからこそぶつかる壁。この壁を乗り越えるか、越えられずに諦めるかでその先の人生が決まる。室伏氏は見事に乗り越えてみせた。

室伏氏 : 当時はティーンエイジャーでしたので、なかなか難しかったとは思うんですけども、よく我慢して、まず聞いて、トライして、ダメなら止めればいいというスタンスでやっていきました。ハンマー投のパイオニアでありエキスパートである父の話を聞きながら、そのアドバイスに則ってやっていくことでまた記録を伸ばすことができました。

あとは自分自身で乗り越える努力も必要でした。かなりハードなトレーニングを自ら課して行ったりもしましたね。心のもやもやを 乗り越えて、自分自身で厳しいトレーニングを行って、さらに技術に関するアドバイスを しっかり受け入れられて。受け入れられる気持ちがなければ、伸びていきませんので、ここが一番大きな部分ですよね。

そうやってスランプを抜け出していきました。

―  大学を卒業し、ミズノに入社した室伏氏は、その後「世界の鉄人」とあだ名される快進撃を続けていく。

2001年には世界陸上エドモントン大会で銀メダル。2002年にはアジア大会に優勝し2連覇。2003年には大阪国際グランプリで優勝、日本選手権も優勝を果たし9連覇。プラハGPでは当時世界歴代第3位となる86メートルを記録した。
2004年には日本選手権10連覇。同年に開催されたアテネオリンピックでは金メダルを獲得。陸上の投てき競技における優勝は、アジア人史上初の快挙だった。

その後も、国内・海外さまざまな大会で前人未到の活躍を続けていく。世界で戦う際、どのようなプレッシャーやストレスと向き合っていたのだろうか。

室伏氏: 成績を残したいのであれば、プレッシャーやストレスは付きものじゃないですかね。ただ、前向きに、ポジティブに物事を捉えるか、ネガティブに捉えるのかで結果も変わってきますよね。

なにか困難に直面した際、これはどう意味があるのか、起こった現象に対してどんな意味があるのだろうか、自分がどうだったからこうなったのかということを考えていく中で、次につなげていくことが大事なんじゃないでしょうかね。

宇宙空間に行けば重力はありません。我々は1Gの重力の世界で生きています。1Gの世界で疲れた疲れたって言っていますよね。じゃあ、無重力がラクだからといって宇宙空間で暮らしたとしましょう。でも、また地球に帰ってきたら、1Gはさらに重く感じてしまいますよね。

我々はある程度の刺激を受けながら生きていかなければ、体も心も強くならないんですよね。もちろん、体も心も無理をする必要はありません。ですが、ある程度の刺激やストレスは大事なんです。
行き過ぎたストレスや許容量が少ない子どもの頃に、ストレスを与え過ぎるのは悪影響です。ストレスに対して抵抗を作っていくように、徐々にやっていかないといけないんだと思います。

― その後も圧倒的な記録を残し、2016年にアスリートとしては一線を退いた。

<後編に続きます>

<前編はこちら>

Profile

室伏 広治 氏

1974年静岡県沼津市生まれ。日本のハンマー投選手、スポーツ科学者、陸上競技指導者。2004年アテネオリンピックのハンマー投競技にて金メダルを獲得。陸上・投擲種目で金メダルを獲得したのはアジア人初。ハンマー投のアジア記録・日本記録保持者。日本選手権では前人未到の20連覇を達成。国際オリンピック委員会文化五輪遺産委員、国際オリンピック委員会アスリート委員など要職を歴任し、2020年からはスポーツ庁長官を務める。2004年、紫綬褒章を受章。