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公開 2024.07.31

日銀前総裁の半生と金融緩和が日本に与えた「影響」
第31代日本銀行総裁 黒田 東彦 氏 インタビュー(後編)

2023年から2024年にかけて、消費者物価も実態賃金も大きく伸長した。その背景には、10年間にわたって黒田氏が取り組んだ経済政策があった。しかし本人は、「消費者物価と賃金が上がり始めたことのきっかけは、皮肉なことにウクライナ戦争です」と語る。その真意は? その思いは? 日銀総裁を務めた黒田東彦氏へのロングインタビュー、最終章。

取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/西田周平 Shuhei Nishida

次元の金融緩和が現在の日本経済に与えた「影響」

黒田 東彦 氏 (以下 黒田氏): 報道で候補になっていると書かれてはいましたが、財務省や内閣府からなんの話もないんですよ。突然、秘書官が『安倍総理から電話です』って。

― 2013年2月21日、アジア開発銀行総裁3期目を務めていたころ、その電話はかかってきた。安倍晋三首相(当時)からの日本銀行総裁就任のオファーだ。

黒田氏 : 財務省も外されて、内閣府の中でも総理と秘書官だけで相談していたんじゃないですかね。本当になんの相談もないんですよ。引き受けることを一瞬ためらったのは、私はアジア開発銀行総裁は3期目だったんですね。1期目は前総裁の残りの期間を2年やって、再選されて5年やって、3選されて5年やると決まったところに1年目でこういう話が来た。引き受けたら1年目で辞めてしまうことになるんですね。

総裁は選挙で選ぶんです。私は3回の選挙とも全加盟国の支持で就任しているんですね。そして3選された総裁もいないんです。それなのに1年で辞めるというのはちょっとね。

そう思ってためらっていたのですが、15年続いたデフレを克服するのは日本にとって重要な課題だし、私にとっても天命だと思ってお引き受けしました。

― 日銀総裁となった黒田氏は、2%の物価安定目標を達成するための施策を打っていく。
会見で「量・質ともに次元の違う金融緩和を行う」と話したことから、その政策は「異次元の金融緩和」と呼ばれた。

黒田氏: 問題はどの程度の緩和を進めて2%の物価安定目標を実現するかという点でした。スタッフといろいろ議論をしていく中で、できるだけ早期にというのは『アズ・スーン・アズ・ポッシブル』などじゃないんですよ。『ジ・アーリスト・ポッシブル・タイム』だと。

そこで、2年程度を念頭に置きました。金融政策の効果は1〜2年のタイムラグがありますから半年後というのは無理。2年程度を想定してできるだけ早期に2%を実現するためにやると決めました。

― 2013年4月から始まった金融緩和は、2016年1月にマイナス金利政策の導入、同年9月には長短金利操作を導入、2022年12月には長期金利の上限を0.25%程度から0.5%程度に引き上げと、そのときどきの経済状況を見ながら進められた。

その結果、企業は未曾有の好景気に沸き株価も上昇、失業率も低下し新規雇用も500万人増加した。しかし、民間の給料はなかなか上がらず、消費も期待以上の増加は見られなかった。

黒田氏: 2013年から歴史的な金融緩和を進め、マイナス金利を入れて、イールドカーブ・コントロールもやってと進めました。経済はすぐに回復して企業収益も倍増し、失業率はデフレ期の5%から半減して新規雇用も生まれました。実体経済は活性化したのですが物価は1%しか上がらなかったし、賃金もほとんど上がらない状況が、ずっと続いていたんですね。

1998年から2012年まで15年間も続いたデフレ期で、企業経営者も組合も、賃金や物価を上げていくことに非常に消極的になっていました。だから、俗に言う賃金物価が上がらないという、ソーシャル・ノルムがはびこっていた。なかなか物価も上がらない。もちろん、賃金も上がらないというね。

― 一転、2024年のいま、物価も賃金も上昇した。株価は一時史上初めて4万円台を突破した。黒田氏の日銀総裁退任後ではあったが、その理由に10年にわたって進められた金融緩和があるのは間違いがない。

黒田氏: 2024年になって大企業は6%近い賃上げですからね。当然、消費者物価も2.2%上がって実質賃金がプラスになります。今後、消費も相当戻ってくると思いますね。

こうなった背景に大規模な金融緩和があったことは事実なのですが、消費者物価と賃金が上がり始めたことのきっかけは、皮肉なことにウクライナ戦争ですね。
ウクライナ戦争で石油や天然ガスの価格が上がった。日本は資源をほぼ100%輸入に頼っています。そのために貿易収支が悪化して大赤字となった。その結果、円安も進んでいった。
もちろん、そんな時期に景気が悪ければ賃金も物価も上がらないし、企業収益が落ち込むだけだったんでしょう。経済が絶好調だったという背景にはもちろん、金融緩和があったのだと思いますが、きっかけは皮肉なことにウクライナ戦争です。こういうとウクライナ戦争を評価するのかと言われるかもしれませんが、評価なんてしていません。

― ウクライナ戦争によってコモディティプライスが上がり円安も進んだ。ダブルパンチで輸入物価が上がり消費者物価にも波及した。そのときに史上空前の利益を上げている企業は社員に報いなければならないと賃上げをした。そんな循環が背景にあるという。

黒田氏: 今年はさらなる大幅な値上げがされるでしょう。中小企業に至るまでね。そのバックグラウンドとして、10年続いた金融緩和というのがあったことは事実でしょう。ただ、きっかけはそういうことです。

― ウクライナ戦争時、日本企業が好景気だったがゆえに賃金も物価も上昇した。もしも、10年にわたる金融緩和が行われておらず、企業業績が低迷していたら、現在の状況は訪れていなかった。

裁判官ではなく官僚の道を歩むことを決めた青年の決断が、今日の日本を救ったのかもしれない。

<前編はこちら>

<中編はこちら>

Profile

黒田 東彦 氏

1944年、福岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、大蔵省(当時)へ。
1999年から2003年まで財務官、2003年から2005年まで内閣官房参与、2005年から2013年まで第8代アジア開発銀行総裁、2013年から2023年まで第31代日本銀行総裁を務める。
日銀総裁退任後は政策研究大学院大学特任教授、京都大学経営管理大学院特命教授に就任。
2024年、瑞宝大綬章受章。