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公開 2024.05.30 更新 2024.05.31

オリンピック7回出場の背景には度重なる病とケガとの戦いがあった
参議院議員・元オリンピック代表 橋本 聖子氏 インタビュー(中編)

橋本 聖子 氏インタビュー中編

小学3年生で患った腎臓病の療養をひとまず終え、中学生から高校生にかけてスケート選手としてのトレーニングを始めた橋本聖子氏。天性の才能が花開き、一躍日本代表レベルへと成長を遂げていく。しかし、好事魔多し。高校3年生の時期、さらに次のステージへと強度のトレーニングを始めた結果、腎臓病が再発してしまうーー。
謎の呼吸器疾患、そしてB型肝炎と、次々に襲い掛かった病魔を橋本氏はどう捉えていたのか?

取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/西田周平 Shuhei Nishida

中学時代に花開いた才能、しかし…

- 腎臓病との戦いをひとまず終え、それなりに運動が許されるようになった。そのとき感じたのは、自身の身体の衰えだったという。

橋本 聖子氏 (以下 橋本氏): 走れないんですよ。そして、今まで何でもなかった高さの台に上がれない、ジャンプして渡っていた川を飛び越えられずに川に落ちる。あとはやっぱり息がすぐに上がってしまうんですよね。こんなに違うものかと実感しました。

- 現在のスポーツ科学では、幼少期から中学生までを、特にゴールデンエイジと呼ぶ。この時期に人間の肉体の基礎が作られるという意味だ。
骨密度は小学校時代に決まると言われている。運動という刺激を与えることで骨が危機感を覚えて栄養を吸収し強くなる。

子ども時代には、運動し、しっかりとした栄養を摂り、たっぷり寝る。これが成長の黄金ルールと言える。橋本氏はこの大切な時期に闘病生活を送らざるを得なかったが、オリンピック選手への夢を諦めることはなかった。

子ども心にも衰えがはっきり分かった体を再び作り直す。中学に上がると優れたコーチとの出会いもあった。中学1年生の冬にはトレーニングの成果が早くも表れ、初出場した全北海道中学選手権の500メートル競技で優勝を果たす。
順調にトレーニングは橋本氏を成長させ、中学3年生のときに出場した全日本ジュニア選手権の500メートル競技でも優勝する。橋本聖子の名前が全国に轟いた。

橋本氏 : 優勝はしたのですが、やっぱりまだ子どもの体だったんですよね。精神的にも幼かったと思います。腎臓病は完治していませんので、まだ厳しいトレーニングをしていませんから、遊びの延長線上でやっている状態で優勝してしまったんですね。
そういう意味では、身体的な能力には恵まれていたんだと思います。

- 高校生となった橋本氏は、本格的にスケート競技に打ち込むようになる。コーチの自宅に下宿をし、早朝から深夜までトレーニングを続ける日々。結果はすぐに表れ、高校1年生で世界ジュニア選手権の日本代表に選出され、世界の檜舞台に立つ。

高校2年生時には国内で日本記録を次々と打ち破っていき、全日本選手権では総合優勝を飾っている。以後、10年間にわたって全日本選手権を制覇し続ける。

順風満帆な競技生活を送っていたこの時期、無理なトレーニングが祟って腎臓病が再発してしまう。さらには原因不明の呼吸筋不全症にも襲われた。仰向けに寝ると胸が締め付けられるような感覚に陥り呼吸が停止してしまう難病だ。病院を何件もめぐり、さまざまな対処法を試してみるも改善しない。その上、治療の最中でB型肝炎にまで感染してしまう。人生最大のピンチが訪れた。

人生最大のピンチに考えた逆転の発想

橋本 聖子氏
橋本氏 : 高校2年生で全日本選手権で優勝しました。そこからさらに世界に! と意識が変わった高校3年生の夏場のトレーニングは、当時のレベルなりには相当頑張ったんですよね。それが結果的に持病を再発させる原因になってしまいました。

まだまだ体が成長している高校生なので、段階を経て負荷をかけるべきでしたが、それなりに厳しいトレーニングだったので、眠っている病気が出たんでしょうね。ただ、それが自分で小学校の時の病状に似てるというのが、分かったからまだ良かったんです。早期発見ができて。
すぐに入院したのですが、高校3年生にもなれば腎臓病がどういう病気かというのを自分で調べられるわけですよね。調べると透析というものをしなければいけないのかとか、もう一生スポーツはできないのかと、分かれば分かるほど恐ろしくなる。小学校の時はそういったことは分かりませんでしたから、まったく問題がなかったんです。

でもオリンピックも目指せるレベルに十分到達していた高校3年生のときには、もうそういったことが分かるようになっていました。病気のせいで諦めなければならないのかという恐怖心がストレスになったんでしょうね、呼吸ができない病気になってしまいました。その上、札幌の病院に移ってから医療事故でB型肝炎にも感染しました。
でもそれも運命として捉えて、なってしまったものはどうにもならないという気持ちの切り替えはできていましたね。

- 橋本氏が夏冬合わせて7回もオリンピックに出場できたその背景は、このメンタルの強さ、切り替えの早さ、そして過酷なトレーニングと病気の治療という2つの戦いを並行して行っていたところにあるようだ。

橋本氏 :もちろん悩んだのですが、病気になってしまったものを恨んでも仕方がないし、誰かによってこの病気にさせられたわけでもないと思うと、どうやって治していこうかっていうことしか考えれれなかったんですよね。

こういう状況になったのにもかかわらず、オリンピックに出たという方が、健康体のままで出るよりもすごいだろうとも思いました。アスリートとして大事な時期に、2ヵ月ほどまた入院していましたから、その期間中は落ち込むのではなくワクワクする方向で考えていたんです。病気になったこと、再発したことは残念だけど、この病気を持った上で、オリンピックに出たら、これは熱いなっていう。そういう目標に切り替わってました

参考文献:「オリンピック魂」「聖火に恋して」(ともに橋本聖子著)

<後編はこちら>

<前編はこちら>

Profile

橋本 聖子 氏

参議院議員、元オリンピック代表。1964年10月5日、北海道勇払郡安平町早来に生まれる。1984年から1996年まで、夏冬合わせて7回のオリンピックに出場した。1995年参議院議員初当選、以後5期連続で当選を果たす。2019年に東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)、女性活躍担当大臣、2022年に(公財)東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長などの要職を歴任。