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公開 2024.05.30 更新 2024.05.31

オリンピック7回出場の背景には度重なる病とケガとの戦いがあった
参議院議員・元オリンピック代表 橋本 聖子氏 インタビュー(後編)

橋本 聖子 氏インタビュー後編

腎臓病、B型肝炎など、慢性的な病気との共存を続け、念願だったオリンピック代表選手として夏冬合わせて7回出場を果たした橋本聖子氏。この日本スポーツ史に残る偉業は「病気になったからこそできた」と橋本氏は語る。
オリンピック初出場時の思い出から、現役の国会議員兼オリンピック代表選手として出場したアトランタオリンピックについての思い出まで振り返ると同時に、未来についても語る最終章。

取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/西田周平 Shuhei Nishida

トップアスリートが見た 「日本の課題」

- なんとか病状を抑え、迎えた1984年の冬。橋本氏は念願のオリンピック選手としてユーゴスラビア社会主義連邦共和国(現:ボスニア・ヘルツェゴビナ)サラエボの地に立っていた。親子二代にわたる夢だったオリンピック選手に、スピードスケート女子の代表として選出されていた。

橋本 聖子氏 (以下 橋本氏): 19歳でオリンピック初出場したんですよね。初めてのレースは1500メートル競技だったんですよ。その最初のレースのとき、滑っている最中に『夢って叶うんだ』って。滑っている最中にどこか冷静に思ったのを覚えているんですよね。

ただ、1年半前まで入院生活を送って、ギリギリのところで代表に選ばれたので、メダルはとても考えられるようなレベルじゃなかったんです。あくまでも出ることに意義がある、そんな程度で、参加するだけで満足していた大会でした。

- 出るだけで満足だったオリンピック。表彰台で称えられる世界のトップ選手たちを見た橋本氏に新たに「メダルを取りたい」という夢が芽生えた。ここからスケート競技と合わせて夏季オリンピックの自転車競技の選手として、合計7回のオリンピックに出場。

1992年のアルベールビル冬季オリンピックでは3位に入賞し、日本人女性としては史上初となる冬季オリンピックでのメダル獲得する快挙を達成している。

橋本氏 : オリンピックに出たいというだけでは途中でやめていたかもしれませんね。病気というリスクがあるからこそ乗り越える喜びが別にあって、どこまでやれるんだろうという期待もありました。きっと健常者だったらあそこまでやらなかったんじゃないかと思うんです。

病気を抱えていてもできるんだと思った瞬間から追求したくなって、結果的に7回もオリンピックに出場することができて、その経験で得た医療や食の追求も人生の新たなテーマになりました。これも病気になったから気がついたんです。食の追求なんて当時なかったんですから。

今でこそアスリートに栄養士が付いたりしていますが、私が選手の時代、日本ではスポーツ医科学がまったく考慮されていませんでした。でも世界ではすでに確立されていて、スポーツ医科学という分野があるのかと、オリンピックに出て知ったんです。

- 迎えた1995年、かねてから考えていた政治の世界に足を踏み入れる。橋本氏、30歳のことだった。

橋本氏 : 義理の兄が政治家だったので、いつかは政治の世界にと思って、衆議院議員を目指そうとしていたんです。そんなとき、森喜朗先生から『スポーツを通して政治の世界で貢献したいのなら、参議院が向いている』とお声がけをいただいて立候補したんです。

- 当選後は慌ただしい日々が始まった。1996年夏に開催予定のアトランタオリンピックに選手として出場するつもりだったからだ。

橋本氏 : みんな諦めるだろうと思っていたと思うのですが出場できたのは夏の大会だったからです。この時期は国会も閉会しているので日程としては空いているんです。
昼間は議員としての仕事を果たし、朝と夜だけのトレーニングを10ヵ月続けて代表に選ばれました。もちろん国会が開かれることになったら出られないという条件付きです。これが最後のオリンピックと決めて出場したのですが、この大会での経験が一番政治の世界で役に立っていますね。

- 現職の国会議員が世界最先端のスポーツの舞台に選手として立つ。政治家の視点で大会全体を見渡し、当時の日本のスポーツ界になにが足りないのかを実際の目と耳で見聞できた経験は、政治家・橋本聖子にとって大きな意味があった。

橋本氏 : アスリートは自分のことだけを考えて競技に集中してくれればいい。政治家として出場したオリンピックでは、その国の仕組みや予算の流れ、組織委員会の実態や各国の強化状況といった調査も自分で選手たちに聞いて回って取材しながら競技に出ていました。帰国して報告書を提出するためです。

アスリートの視点で物事を全部内部から見られる経験は、過去に誰もやったことがありませんでしたので、そこは非常に良かったなと今でも思います。

- 初当選後、橋本氏は5期連続で当選。現在も参議院議員として活動を続けている。
これまで東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、女性活躍担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)、自由民主党参議院議員会長といった要職を歴任、人づくりやバリアフリーなどの環境づくり、医療・福祉政策の充実を訴えて改革を進めてきた。

なかでも「食育」と「医療」にかける思いは熱い。これは幼児期の入院経験がそのバックグラウンドにある。

橋本氏 : これまでスポーツを土台として生きてきて政治の世界に入ったので、健康と医療と食は、切っても切り離せません。いま日本で問題となっている、医療費や社会保障費、これをいかに抑制していくかということに関しては、スポーツの世界では当たり前に行っている予防医療、予防医学を用いることによって健康寿命を延伸させて、活力ある社会を作り出していくべきだと考えています。

病気で長生きするより、健康で長生きすることによって、国家予算の配分が大きく変わってくるので、しっかりと実現していきたいと思っています。

- 初当選北海道の牧場から始まった少女の夢は、現在国政を担うひとりの国会議員の新たな夢として歩みをいまでも続けている。

参考文献:「オリンピック魂」「聖火に恋して」(ともに橋本聖子著)

<前編はこちら>

<中編はこちら>

Profile

橋本 聖子 氏

参議院議員、元オリンピック代表。1964年10月5日、北海道勇払郡安平町早来に生まれる。1984年から1996年まで、夏冬合わせて7回のオリンピックに出場した。1995年参議院議員初当選、以後5期連続で当選を果たす。2019年に東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)、女性活躍担当大臣、2022年に(公財)東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長などの要職を歴任。