野田聖子氏は2023年現在、当選回数10回を数えるベテラン議員だ。一方で、障害を抱える男児を育てるひとりの母親でもある。
人口減少社会に苦しむ現在の日本において、ママ友やパパ友とプライベートで接する中で聞こえてくる「声」を政策に反映できる数少ない議員のひとりとして活動している。
野田氏が考えるこれからの日本に必要なこと。国政を担う議員としてこれから手掛けたいと考えていることについて聞いた。
取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 取材協力/上野友香 Yuka Ueno
写真/西田周平 Shuhei Nishida
背伸びをしない、無理をしない。等身大が野田氏の「信条」
- 女性の国会議員だからこそ、そして野田氏だからこそできる活動もある。
野田 聖子氏(以下 野田氏):ずっと背伸びをしないで活動してきたんです。分からないことは分からないし、できないことはできませんから。そもそもが高い志を抱いて政治の世界に入ったわけでもありませんから、私の政策はすべて国民の声が元になっているんです。
国会議員の本業は法律を作ること。法律をコツコツ作ればいいと思っているんです。それで社会を変えていけばいいって。そのネタは私の中にあるのではなく、出会った人たちの小さな声が集まったものなんですね。女で弱っちいから、いろいろな声が入ってくるんですよ(笑)。
上の人には恐れ多くて物が言えなくても、私にはタメ口で喋れる。そこにゲームチェンジャーがいるんです。私はそういうゲームチェンジャーの人たちと出会うことで少しずつ世の中を変えられたと思っています。
- 等身大で活動する、そんな野田氏を象徴するエピソードがある。1998年の第1次小渕改造内閣で、野田氏は郵政大臣に抜擢された。当時、まだ当選2回目の「駆け出し議員」だった。
野田氏:最初、噂が入ってきたんです。どうやら環境庁長官の打診がありそうだって。当時、女性議員は環境庁長官か科学技術庁長官というのが定番だったんですね。小さい役所だから。でも私は環境のことは分からなくて。
なので、当時の官房長官だった野中広務先生に恐る恐る電話したんです。『環境庁長官は無理です』『それまで郵政政務次官は拝命していたので、郵政大臣ならできます』って。
そうしたら『ばかもーん!!』って。『初入閣のときは黙って受けるものだ! お前が大臣になるなんて誰も言ってない!』って(笑)。あちゃー、すいませんでしたって平謝りですよ。
でも、あのまま環境庁長官になっていたら、党にも迷惑だし、小渕総理にも悪いし、なにより支援者に恥をかかせるのが一番嫌でした。応援したのにあいつ、環境のことなんてなにも分かってないじゃないかって思わせるのは嫌だったんです。
- 国民のために、支援者のために等身大で活動する。その思いは今も変わっていない。
日本初の女性総理大臣に向けて喫緊の課題は人口減少対策
- 苦労の連続だった政治家としての活動も、岐阜県議会議員時代を含めると今年で36年目を迎える。衆議院議員として当選10回というのは、故・安倍晋三氏、現在の首相である岸田文雄氏と同期で、前首相の菅義偉氏よりも多い。現在は、日本初の女性総理大臣になるべく、活動を進めている。
野田氏:議員としては全方位で何でもできるようになりました。今度はそれをまとめて新しい時代を作るために活動しています。
たとえば役所同士はバラバラなんですよね。子どものことでも厚生労働省と文部科学省はそっぽ向き合っているし、総務省と地方もそっぽ向いているし、これでは子どもが救われないと思って子ども家庭庁を作ったわけですが、そのトップは総理大臣なんです。
- 野田氏は2011年に50歳で出産した。子どもは今年、12歳になった。育児を進めていく中で、20代、30代の「ママ友」もたくさんできた。
野田氏:私は政治的には本会議場の後ろから2番目のおじいさん席にいるわけですけど、子どもを通じて出会う人は若いお父さんやお母さんなんですよね。彼らの声を聞いて政治に活かせるのは、見回してみると私しかいないんです。
当選回数の若い国会議員がなぜ政策を作れないかというといまだに小僧扱いだからなんですよ。当選回数主義だから周囲が言うことを聞いてくれないんです。私は、それなりの当選回数がある上に、若い議員と同じ世代の子どもを持っているのでずけずけやれちゃうわけ(笑)。
― たとえば「医療的ケア児支援法」は、ハンデを抱える長男の育児での実体験を元に、野田氏が中心となって作った法律だ。「背伸びをしない」「等身大で活動する」野田氏の面目躍如といったところだ。現在では少子化対策が喫緊の課題と捉えている。
野田氏:いまは少子化対策を履き違えていて子育て支援になっちゃってるんですよね。本当は人口減少なんです。これは数値として明確に出ています。10年後、20年後の人口が分かるし、何十代が何割と割合も確定しているわけです。これはもう100年くらいかけないと少子化の流れは止まらないんですよ。
だから、私の青写真、政権構想の仔細なことよりも、人口が下り坂の100年をどう生き抜くかが私の構想。それでこの前、人口減少時代を乗り切る戦略を考える『人口減少時代を乗り切る戦略を考える議員連盟』を超党派で作ったんです。だってこれには党派関係ありませんからね。自民党支持者も減る、共産党支持者も減る。
- 野田氏が日本憲政史上初の女性総理になったとき、日本は大きく生まれ変わることができるかもしれない。
Profile
野田 聖子 氏
1960年福岡県北九州市出身。大卒後、帝国ホテルで勤務。1987年に岐阜県議会議員選挙に立候補。当時史上最年少の26歳で当選する。1993年の衆議院議員総選挙で当選、以後、当選10回を重ねる。1996年に第2次橋本内閣で郵政政務次官、1998年には小渕内閣で当時最年少の37歳で郵政大臣に抜擢される。以後、内閣府特命担当大臣、総務大臣など重職を歴任。現在は自由民主党情報通信戦略調査会長を務める。夫と長男との3人家族。