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2021年9月1日、デジタル庁は発足した。その中心で辣腕を振るったのが初代デジタル大臣の平井卓也氏だった。
国民にとっては突然降って湧いた出来事のように見えたこの創設劇は、遡ることおよそ20年前から、着々と下地を整え準備が進められていた一大プロジェクトだった。
企画から、いわばローンチまで一貫して携わり続けた平井氏に、デジタル庁の特徴や目指す姿、今後の取り組みなどについて話を聞いた。
取材・文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/板山哲也 Tetsuya Itayama
日本の政治史にかつてない省庁の誕生
「デジタル庁というのは完成された姿ではなくて、ビジョンからすでに『Government as a Startup』。デジタル庁は私が創設前の最初のミーティングのときに言った言葉から始まっているんです.」
- 2021年9月1日、デジタル庁は当時の菅義偉内閣の肝いり政策のひとつとして華々しくスタートした。日本の規制改革、成長戦略の象徴とも言えるデジタル庁は、初代デジタル大臣を務めた平井卓也氏が国会議員に初当選して以来手掛けてきた、20年近くにわたる取り組みの集大成と言っていい。
平井 卓也氏(以下、平井氏):私は2003年から国のシステムの問題点を指摘してきました。当時、自民党内にe-Japan 重点計画特命委員会というのがあって、その戦略強化チームに当選したての私がいたんです。
そこではいまの国のシステムは維持管理コストが掛かり過ぎるし、ベンダーロックインが発生している、このままではいけないと指摘し始めたのが2003年です。
- 平井氏の取り組みはおよそ10年後にひとつの成果に結実する。2014年のサイバーセキュリティ基本法、2016年の官民データ活用推進基本法は、平井氏による議員立法で成立している。
平井氏:他にもデジタル手続法は私がIT担当大臣を務めていた2019年5月31日に公布しています。私が議員として活動を始めて以来、一貫して手掛けてきた活動の集大成がデジタル庁ということになります。
- デジタル庁は、国や地方自治体の行政事務を迅速に遂行するために設置された。国や地方行政のIT化やDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進も重要なミッションのひとつだ。デジタル庁に期待されるこれらのミッションは、従来の「霞ヶ関の手法」では叶えられないと平井氏は考えた。デジタル庁は、これまでの省庁とは一線を画した組織でなくては、改革を進められない。その思いが冒頭の言葉に結実していく。
平井氏:デジタル庁という組織はまさにスタートアップ企業と同じなんです。いままでのウォーターフォール型ではなくアジャイルでなければならない。
組織もその考えに対応できるよう、スタートアップ企業のように日本の未来に高い志を抱く官民の人材が協力してスピード感を持ってDXを主導していく。そういう組織を作ろうと考えました。
- デジタル庁は明確なミッション、ビジョン、バリューを掲げて運営されている。所属するスタッフは、これらの組織文化を徹底的に頭に入れた上で業務に携わる。従来の霞ヶ関の文化に取り込まれず、インディペンデントな立ち位置を確立しなければ、抜本的な改革など望むべくもない。
平井氏:デジタル庁というのは、いままでの役所のように三角形のヒエラルキーの中で意思決定がちゃんと行われて、継続性、安定性、正確性みたいなものが重視される省庁とは異なるんですね。なにもないところから自ら取り組んで課題を見つけて解決することが求められるんです。
- 完成された硬直性の高い組織では、突発的な出来事に対応できない。デジタル化は今後、グローバルに進んでいく。予測不可能な方向に進化、発展することも考えられる。だからこそ、変化に強い柔軟性のある組織づくりを初めから志向した。
平井氏:そもそも、いままでの省庁でできるのであればデジタル庁を新たに作る必要なんてないんです。従来の省庁ではできないことをやろうとしているわけですから、いままでのやり方を全否定するところから始めました。従来の霞ヶ関では失敗は許されませんから。そういう部分でも、従来の省庁とは違うのですが、そういう考え方でなければ新しいやり方を作っていくことはできないんです。
現在、我々のミッション、ビジョン、バリューに共感してくれたスタッフがたくさん集まってくれていますよ。
- デジタル庁を創設するにあたっては、海外の取り組みを積極的に取り入れた。とはいえ、「こうすれば上手くいく」という成功法則はどの国も見つけられていないのが現状だ。
平井氏:日本はイギリス、アメリカ、デンマーク、シンガポール、韓国等々、世界各国を参考に、独自に考えたのがいまのデジタル庁の組織です。デジタル化が国家としての安全保障や成長力などに深く関与することは誰もが認識しているので、各国の関係機関ともフラットに情報交換できるし、日本のデジタル庁は海外でも広く認知されているので、各国のキーパーソンとは積極的に意見交換を行いました。
人口1億人を超える国でこのような取り組みをするというのは、非常にユニークでありチャレンジングなこと。その点も各国から注目されています。たとえば、マイナンバーカードもそのひとつです。
マイナンバーカードに見られる「誤解」
- マイナンバーが普及することで、日本のDXは格段に普及する。現在すでに4割を超える国民がマイナンバーカードを所持している。デジタル庁では、より一層の普及のため司令塔の役割を果たす。
平井氏:これまでなかなか普及しなかった理由ははっきりしていて、日本のデジタル化が遅れていたがために、カードを使える場面が少なかったからです。今後、一気にデジタル化が進んでいくなかで、新しいサービスがローンチしたときに、本人確認のためのカードは絶対に必要となります。
デジタル社会のパスポートたるマイナンバーカードの中のICチップ、これは国民にとって非常に便利なものになると思います。
- セキュリティについても誤解が広がっている。マイナンバーカードに貼付されるICチップの中に、個人情報がすべて入っており、そこから情報流出が起こるのではないかという懸念だ。
平井氏:それはまったくの誤解で、日本のシステムほど分散管理が徹底されているシステムは世界にもないんです。わざわざすべてを分散管理にしているんですよね。1970年代以降の国民総背番号制の議論から始まって、日本は国家による情報の一元管理を避けるシステム構築になっています。だから運転免許は警察が、健康保険証は厚生労働省と分かれていますよね?
マイナンバーカードでも、その都度、管轄のデータベースにアクセスする仕組みになっているんです。
- 国民に渡されるマイナンバーカードは、いわば「鍵」の役割を果たす。必要な情報にアクセスする際、その鍵を使ってデータベースにそれぞれアクセスしていく。
平井氏:カード内には一切の情報が残りません。一回一回、アクセスするわけですから。これほどセキュリティの高いものはなかなかありませんよ。
デジタルが叶える「田園都市国家構想」
- 2020年から2021年にかけて、全世界をコロナ禍が襲った。死者、患者が大量に発生したこの悲劇を背景に、世界は大きく変革していこうとしている。その背景にあるのも「デジタル」だ。
平井氏:デジタル庁は『デジタル田園都市国家構想』を推進しています。具体的にはデジタル庁が主導して、自治体クラウドや5G、データセンターなどのデジタル基盤の整備を進めています。この発想はもともと、およそ40年以上前に故・大平正芳首相が提言した『田園都市国家構想』が根底にあります。
しかし、当時はインターネットもスマートフォンも影も形もない時代。都市部と地方の情報格差を埋める手段がなく、実現できませんでした。しかしいまは違います。
- このデジタル田園都市国家構想は、平井氏が取りまとめた自民党のデジタル政策「デジタルニッポン2020」で提言されていたものだ。この提言が政府に採用され、現在進められている。デジタルガジェットや通信網の発展は、時間と距離の概念を大きく変えた。現在、スマートフォンが1台あれば、海外からでもビデオ会議を行うことができる。インターネットで1次情報にアクセスするのに、都市部も地方も関係ない。
平井氏:光ファイバーも島しょ部まで引かれています。こんな国、なかなかありませんよ。5Gも地方から始めています。現在、地方にはたくさんのチャンスがあります。
IT企業では、すでにエルテスという会社が岩手県の紫波町に本店を移転しました。パソナは淡路島、アクセンチュアも会津若松にデジタル実証フィールドを移しています。
今回コロナ禍で分かったことは、会社にみんな行かなくなって、テレワークで自宅で仕事ができるのであれば、その自宅はどこにあってもいいということでした。たとえば、同じ給料で仕事をするのであれば、人によっては東京に住むより会津若松に移ったほうがずっとQOLが上がるということが起こるわけです。これまではどこで働くかということが重要なファクターでしたが、それがなくなっていきます。
選択肢が広がり、多様な幸せを求める社会を作れるというのが、もうひとつのデジタル庁の目的です。
- 分散しても、成長する国家づくり。これがデジタル田園都市国家構想の根幹にある。まさにデジタル時代の地方創生と言っていい。
平井氏:移り住む際、その土地に求めるものは人によって異なると思います。ある人は山がいい、ある人は海がいい。ある人は温泉が欲しいなどいろいろでしょう。ただ、皆さん共通に求めるのはきっと、安全・安心であるとか、医療や子育て環境などだと思います。それらは今後、さまざまな魅力的なメニューを自治体が用意していくことになるでしょう。地方を都市化するのではなく、その土地がすでに持っている魅力や自慢の品々をより磨いて発展させていけばいい。デジタル化によって日本はより魅力的な国に成長していけると思っています。
アナログの大切さを知っているからこそ、デジタルの恩恵を正しく定義できる
- 日本のみならず世界が大きく変革を求められた2020年、コロナ禍以降の社会。日本のデジタル化を推進するデジタル庁が、そのような時期に誕生したのは運命の巡り合わせなのかもしれない。
平井氏:今回のパンデミックは、後に歴史が検証するでしょうけれども、まさに100年1回の大変革期だと思います。こんなに大きく変わるチャンスは、我々が生きている間にはもうないと思うんですよね。
いまは守るときではなく、チャレンジする。変化の中に活路を見出すことが企業にも求められると感じています。日本の企業はまさかのときのディフェンスを考えることには長けているのですが、いまは変化に対応できなければ飲み込まれてしまう時代です。チャレンジこそ最大の防御と言っていいでしょう。
- 国会において、一貫して日本のデジタル化に取り組んできた平井氏だが、だからこそ痛感していることもある。アナログの大切さを知っているからこそ、デジタルの恩恵を正しく定義できる。
平井氏:デジタル社会とは何か。デジタルが上手く実装されて、我々が生きている空間の選択肢が増えて、より安全でより幸せになることがデジタル社会が目指す方向性だとしたら、人が人を助けるとか、幸せを感じる空間というのはアナログ空間なんですよね。人間のインターフェイスがアナログである以上は。たとえばこのコロナ禍で、介護の現場や看護師さん、マッサージ屋さんとか、お医者さんもそうですね。エッセンシャルワーカーと呼ばれた皆さんの仕事はデジタルには置き換えられないんです。これは人間がアナログの存在である以上、永久に無くならないと思います。
そうすると、そういったサービスの価値が相対的に上がったと思うんですよね。たとえば美味しい料理を作る店というのは、デジタルに変わらないので、価値が上がる。ライブやエンタテインメントも、ネットでいくら見たってダメで、空間の中に身を置いて初めて楽しめる。今後、そういった仕事に就いている人たちの価値が上がっていくでしょう。それらが正当に評価される社会になっていくんじゃないかと思います。
誰ひとり取り残さない、人に優しいデジタル化を
- デジタル庁では、「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化を。」をミッションに掲げている。このミッションには、付随して「一人ひとりの多様な幸せを実現するデジタル社会を目指し、世界に誇れる日本の未来を創造します。」との一文が添えられている。
平井氏:今回、『誰ひとり取り残さない人に優しいデジタル化を。』というのをデジタル庁の憲法とも言えるデジタル社会形成推進基本法のなかに盛り込みました。IT基本法を廃止してまで、です。これを真正面から真面目に言っている国は日本しかないと思います。私は、誰ひとり取り残さないデジタル化というところにイノベーションがあると思っているんです。世界各国の取り組みを見ても、この部分がどの国でも最後に問題になっています。
いろんな機器のインターフェイスを作成するにあたって、デジタル庁では全盲のエンジニアも当初から採用して考えてきました。高齢化や、地理的なハンデ、お金がないことも含めたハンデも、誰ひとり漏らさずデジタル化のメリットを受けられるようにする。そのためには、アナログの世界とのシームレスな連携が必要なんです。これは台湾のオードリー・タンさんもまったく同じ意見で、末端の人に無理やりスマホを買え、パソコンを買えというのではなく、人が代替して助けてあげられる社会を実現する。それでデジタルのメリットを提供することを考えないといけないと思っています。
- 平井氏は宿願でもあったデジタル庁の創設を見届け、次のミッションに取り組んでいる。次世代のデジタル庁人材の育成だ。
平井氏:2代目大臣の牧島かれんさん、副大臣の小林史明さん、大臣政務官の山田太郎さんは、私がデジタル社会推進特別委員長だったときの事務局を担っていただいた3人なので、デジタル庁のミッション、ビジョン、バリューを明確に分かっているんですよね。今後も、これらの理念について分かっている人を送り込まないとうまく機能しないと思います。人材を送り込むために、私がデジタル社会推進本部の本部長になって、次世代の人材を作っていきたいと思っています。当選回数が多くなってきたから、この人に大臣をやってもらおうではまったく務まらないんですよ(笑)。
私のこれからの役割は、人材を作ることですね。
- スタートアップ企業同様、創設者の明確な理念が柱となり、枝葉についてはその時々の状況や問題に合わせて柔軟に対応していく。日本初の非霞ヶ関的省庁が国内に生み出すイノベーションに、今後も期待したい。
Profile
平井 卓也氏
1958年香川県高松市出身。上智大学外国語学部英語学科卒業後、広告代理店勤務を経て1987年から西日本放送代表取締役社長。
2000年の第42回衆議院議員総選挙で政界に転じ、以後、自民党内でデジタル政策を推進していく。IT担当大臣、デジタル改革担当大臣、初代デジタル大臣などの要職を歴任。
趣味は読書、陶芸、卓球、サッカー、ギター。